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 避難命令が解除されてから三日。僕は久々に家に帰ることにした。
 正確に言えば、井上さんに家を追い出されてしまったのだ。
 彼女にエリスの面倒を見ると言われては、僕は素直に帰るしかなかった……。

第293話 遅い成長 <<智樹>>

 井上さんのお母さんならエリスを追い出したりしないだろう。
 一度会っただけだが、それくらいのことはわかる。
 れっきとした一児の母なのだが、精神年齢は僕達に近いようにすら思える。

 僕の家に連絡をしてくれたのも香織さんだった。
 僕の母さんを説得して、この家出の許しを貰ってくれたのだ。
 いつまででも居ていい、と言ってくれた香織さんに井上さんが待ったをかけた。
 そして、僕は自分の家の前に立っている。家出の時間はもう終わりだ。

「ただいま……」

 玄関でいつも通りに帰ったことを告げてみたが、出迎えはない。
 鍵が開いていたことから、母さんがいないということはないと思うのだが……。
「母さん?」
 一階を探し回ってみたが母さんの姿は見当たらなかった。
 二階に上がると、僕の部屋のドアが少し開いていた。
 出ていった時に閉め忘れていたのかもしれないが、そこに母さんがいる気がした。

 部屋の中の様子を見ると、僕の勉強机の前で母さんは何かを眺めていた。
(写真立て……?)
 あれは数年前に家族で撮った写真だ。部屋にあっても僕はあまり見ることはなかった。
 なぜなら、父さんも母さんも生きているし、会えない理由も無いからだ。
 会おうと思えばいつでも会えるし、話そうと思えばいつでも話すことができる。
 だから、その写真にはあまり思い入れがなかった。
「母さん」
「……おかえりなさい」
「ただいま」

 まだ怒っているのだろうか、母さんはそれきり何も言わなかった。
 じっと写真立てを見ているだけで僕の方を見ようとはしない。
「母さん、僕は……」
「不思議なものね」
 僕の発言を遮って、母さんは写真立てをそっと机の上に戻す。
「言いたいことがたくさんあったはずなのに……。
智樹の声を聞いただけでそんなことどうでもよくなっちゃったわ」

 怒鳴ったりでもしてくれれば僕も譲れないもののために怒鳴り返すことができた。
 しかし、そんなことを言われては罪悪感しか湧いてこない。
 僕だって言いたいことがたくさんあったのに、これじゃあ口を封じられたも同然だ。

 僕は謝るべきなんだろうか? ごめんなさい、と言ってしまってもいいのだろうか?
 母さんは、ただ一心に僕のことを考えて心配してくれていた。
 たとえそれが僕の考えと違っていたとしても、僕のためを思ってしてくれたことだ。
 人のためにやったことが、必ずその人に受け入れられるとは限らない。
 今回の一件で僕はそのことを思い知ることができた。
「智樹も大人になったのね……」
 今まで僕は母さんにあそこまで逆らったり怒りをぶつけたりすることはなかった。
 母さんはそれを成長と見てくれているのだろうか?
 ようやくきた反抗期とでも思っているのかもしれない。

「僕は変わってないよ」
 僕はただ、エリスを追い出したことが許せなかっただけだ。
「ただ僕の大切な友達を母さんには信じてほしかった……」
「そうね。それについてはあの子にも謝らなくちゃいけないわね」
 もう遅い。エリスは二度と母さんと顔を合わせようとはしないだろう。
 母さんがつけた傷はエリスにとって、とても深いものになっている。

「もういいよ」
 今となっては何をしようとしてもエリスの心には届かない。
 僕が母さんに望むことは何もしないこと。二度とこの家には連れてきたくない。
 そしてなにより、彼女をこれ以上辛い目にあわせたくなかった……。


生まれた恋心 <<春香>>

「ねぇ、トモキは本当に大丈夫なの?」
「…………」
 うんざりだ。もう何度この質問を聞いただろう。
 このじゃじゃ馬はさっきから同じことを繰り返し聞いてきている。
「しつこいねぇ、死んだりするわけじゃないっての」
 家に帰っただけで殺されるような家庭なら谷口はあんなに軟弱じゃない。
 お勉強が何よりも大事って感じの優等生っぽい家庭環境なんだろうさ。
「でも、もし、また喧嘩とかして家出しちゃってたら……」
「そんときゃ諦めろ。あの甘ちゃんにはいい経験さね」
 親との衝突程度で逃げ出すような男だ。もう一度くらいぶつかってこい。
 母さんだって逃げ道を与えたものの、こうするつもりだったはずだ。
 ただし、それは私がやった方法よりももっと荒っぽく……だ。

 母さんの男子の基準は雄二だ。谷口だとそのまま病院に送られかねない。
 なんせ、母さんはあたしより容赦がないからな……許せ谷口。
「一応連絡とってみてよ」
「……まだ別れて2時間も経ってないぞ」
 たった2時間で連絡取ったら、あたしが心配してたみたいじゃないか。
「なんだか嫌な予感がするのよ」
「気のせいだ」
「私のソウルウェポンもそう言ってるし」
「嘘をつけ」
 なにがなんでもあたしに連絡を取らせる気らしい。厄介なことこの上ない。
「お願いだから一回連絡してみてよ」
「ええい! しつこい!! 惚れた男が心配なのはわかるが落ち着け!!」
 面倒くせぇ。どうして恋する乙女ってやつはどいつもこいつもこう面倒なんだ。
 あたしゃ雄二のことすらそんなに心配してないぞ?
 まぁ、雄二のことが好きだってのとはちょっと違うと思うが……。
「べ、別に惚れてるってわけじゃないわよ」
「アンタ……」
 そこまで言っといてそりゃないだろう。間違いなく惚れてるっつうの。
「何よ?」
 じゃじゃ馬姫の態度は雄二に惚れる有香にそっくりだ。
 聞いてバレバレ、見てバレバレ。五感のすべてが惚れていると大合唱だ。
「またまたぁ、好きなんでしょ?」
「そりゃ嫌いじゃ……ないけど」
 エリスの言葉は、自分で好きだと認めたくないというように聞こえる。
 あたしも人のことはそれなりにわかるらしい。皮肉なもんだ。
「好きな男のことは不思議と異常なほど心配になったりするもの……」
「っ…………」
 反応あり。赤かった顔がさらに赤く、真っ赤になってきましたよ?
 その反応を見てからあたしは続きを話す。
「らしいぞ?」
 面白いものだ。こうやって恋愛感情についてからかうと反応がわかりやすい。
 何故だかはわからないが表情に出ない人間はあまりいない。
 図星を突かれると何らかの反応が出てくるのである。
「やっぱり惚れてんじゃん」
「…………そう、なのかな?」
 恋心というものは、どうやら自覚して初めて生まれるものらしい。
 それを知った私がその感情を自覚するのは当分先の話のような気がした……。



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