急がなきゃならないときに限ってこんなことが起こったりする。 無視すりゃいいって思うか? 謝ってでもコンサートに行くべきだと思うか? そいつぁできない相談だ。俺はあんな暴言をスルーできるほど穏やかにできてねぇからな。 3人のうち1人を沈め。残りの2人を相手にする。 「俺をただの雑魚だと思ったか? 大間違いだ!!」 回し蹴りで踵を顔面にくらわせ、1人がアスファルトに沈んだ。 「……そうらしいな。お前はただのチンピラじゃない」 そう言うと、最後の一人は格闘経験者のような構えを取る。 「空手か?」 「ああ、2段だ。もう辞めちまったけどな」 どっしりと構える。その雰囲気はもう俺を本気で敵と認めている。 下手に舐めてかかると、こっちが痛い目を見ちまう。 ここでバラの花束を持っていたことを思い出し、恐る恐る左手を見る。 (げ……最悪だ) するっ、とバラの花束をそのまま落とす。あんな状態の花束を溝口に渡すわけにはいかない。 それに……片手で勝てるほどコイツは甘くない。 (あとでなんか買うから許してくれよな……) そして、30分近く戦い続け、ようやく勝利を得たのであった……。 (ちくしょう! あの野郎! 粘りやがって……!!) 俺は必死に走っていた。すでにコンサートは始まってしまっている。 「…………なんだよ、これ……」 文化ホールは普段見ないほどの大人数がいた。いつもはガラガラなのに……。 「どいてくれ! 悪い! ちょっと道をあけてくれ!」 その群衆の中に入っていくが、ほとんど進めない。あと約50mが遠く感じる。 「どけよ!! 頼むからどいてくれよ!!」 俺は人ごみの中を無理矢理進んでいた……。 悲しみと親友の詩 <<奈々>> もうすぐ私は舞台へ出る。聞いた話では満員らしいけど……緊張するなぁ。 藤木君も来ているし、うまく歌えるかどうか心配だ。 「それではナナの登場で〜す!!」 さぁ、行こう。藤木君の席は私の目の前、最前列だ。 「あっ…………」 その席が……空いていた。藤木君は……来ていなかった。 (泣いちゃいけない……。 今の私はナナなんだから……悲しみの涙は見せちゃいけない……) 偶像の私に許されている涙は喜びの涙と感動の涙、そして恐怖の涙だけだ。 「あ……ありがとうございます……。こんなに多くの人が私の歌を聴きに来てくれて…私……」 悲しみの涙も、喜びの涙に見せなければならない。 「頑張れ〜!!」 「ナナ〜!! ファイト〜!!」 私を応援するファンの声が聞こえる。そうだ、私は歌う為にここにいる。 (藤木君は少し遅れてるだけ……すぐ来るに決まってる) 来てくれるって信じているから返事も聞かなかった。 友達なら……親友なら来てくれる。 「はい!! 私、頑張って歌いますんで聞いてください!! ここにいるファンにも詩を送りたい。友達という存在の重要性を理解してもらいたい。 (藤木君……この曲はね? 藤木君と逢えたからできた曲なんだよ……?) 彼女の歌が聞こえない <<雄二>> メチャクチャ混んでる。やっと前の方に出てこれた……。 (げ……チケットがねぇ!! どっかに落としたのか!?) どこのポケットを探ってもチケットが出てこない。 格闘戦、会場までのダッシュ、人垣の中の突進。落とす要素はたくさんある。 「どこまでマヌケなんだよ……俺は」 その場で崩れ落ちたくなる。事情を説明しても中には入れてくれないだろう。 「なぁ、俺チケット落としちゃったんだけど……入れねぇかな?」 「はぁ? お前もか? 嘘をつくんじゃない!」 ほらな? 聞いてくれるわけがないんだ。 警備員の人もそんなに暇じゃない。 だけどな……どうしても通してもらうぞ。 「頼むよ!! アイツが待ってんだ!! 俺が行かなきゃなんねぇんだよ!!」 警備員を退かそうとするが、さすがはプロ。どうやっても通れそうにない。 (ぶん殴るわけにもいかねぇし……風華を使うわけにもいかねぇ) 道は完全に絶たれてしまったようだ。俺が会場に入る方法はもう、ないんだ……。 俺はすぐ近くにある見覚えある入り口を睨みつけていた。 (俺が行かなきゃ……溝口はどう思うんだ? 俺はたった一人の友達だろ? アイツが人間でいるために、偶像になりきらないために俺がいるんじゃなかったのか!?) 「諦めきれるか!! 馬鹿野郎!!」 ここが警備員で塞がれてるなら別の道を探せばいい!! なんとしてでも俺は中に入って、ナナじゃない、溝口奈々に会わなきゃならねぇんだ!! 「どいてくれ!! おい!! どけっつってんだろ!!」 俺は再び人ごみを掻き分けて文化ホールの入り口から離れた……。 「待ってろよ、溝口……。絶対に会いに行くぞ……。絶対に来てほしいんだろ?」 (少しじゃなくて、かなり遅れちまうけどさ……。絶対に行くからな!!) 俺は会場を一目見て決意を新たにした。 信じてるから…… <<奈々>> 藤木君はまだ来ない。もう半分以上を歌っているというのに……。 (いつ来るの? 私、藤木君が来ることを信じてるんだよ?) いつまで経っても埋まらない空席を見つめて一生懸命に歌う。 (早く来ないかなぁ……。早く来て安心させてほしいな……) 涙は流せない。偶像は辛くとも、悲しくとも涙を流せない。 来るって信じても、実際に来ないと不安になる。 ナナは歌っている。奈々は悲しみ、泣き出しそうになっている。 偶像は歌い、人間は悲しむ。2つの感情に押しつぶされそうになる。 (私がお人形じゃなく、人間でいられるのは……藤木君がいるからなんだよ? 貴方だけなんだよ!? 早く来てよ!! 早くその席に座って、私が人間だって証明してよ!!) 人間、溝口奈々の心の叫びは藤木君に届いているわけもなく……。 偶像、ナナはそのすべてを心の中に隠し、笑顔で、本当に楽しそうな笑顔で歌っていた……。 |